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人類は暴力とともに進化、ただし現代は例外的 哺乳類約1000種400万件の記録と殺人の歴史から判明、ネイチャー誌> 2016.09.30 ナショナル ジオグラフィック
人間の暴力性は、霊長類の祖先からずっと受け継がれてきたものだという研究成果が9月28日付けの科学誌「ネイチャー」に発表された。それを見て「ほら、本当は私たちもただの動物じゃないか」と考えることはたやすいが、そんなに簡単に言ってしまっては動物への理解が足りないようだ。
この研究で科学者たちは、相手を死に至らしめる暴力的な行動事例について調査した。捕食者と被捕食者など、別種の動物を殺す行為ではなく、共食いや子供の殺害、争いなど、同じ種の中で起きたものが対象だ。
科学者たちは、トガリネズミから霊長類まで、1000種以上の哺乳類の約400万件の死の記録から、このような恐ろしい行動の証拠を探し、人間の殺人の歴史もまとめてみた。
すると、1つのパターンがはっきりと浮かび上がった。相手を死に至らしめる暴力は、哺乳類が進化するにつれて増加していた。同種間での争いで死んだ哺乳類は全体の0.3%しかいなかったにもかかわらず、霊長類ではこの数字が6倍の約2%となる。同様に初期人類も約2%で、これは旧石器時代の人骨に残されている暴力の痕跡の割合とも一致する。
中世は殺人の時代だ。記録されている死のうち12%が人間同士の争いによるものだった。それに比べると前世紀はかなり平和で、互いに殺し合った率は世界全体で1.33%だった。現在、世界でもっとも暴力が少ない場所では、殺人率はわずか0.01%と非常に低い数値を人々は享受している。
「進化史は人間の状態を完全に拘束するものではありません。人間は変化しており、これからも驚くべき方法で変化し続けるでしょう」。論文の著者であり、スペインの乾燥地帯実験所に所属するホセ・マリア・ゴメス氏はそう話す。「祖先が暴力的だったにしろ、平和的であったにしろ、私たち人間は社会環境を変えることによって、個人間の暴力のレベルに影響を与えられます。つまり、私たちが願うなら、もっと平和な社会を作れるということです」
・殺し合わない哺乳類が多数派
この研究結果で驚くべきは、人類がどれほど暴力的なのかということよりも、人類と哺乳類の親戚たちを比較した点だ。
野生環境で動物同士の殺し合いが起きる頻度を見積もるのは容易ではないが、ゴメス氏のチームは、同種の動物を殺す可能性が高い動物と低い動物についてのよいまとめを記している。ハイエナが他のハイエナに殺される確率は約8%だった。キイロマングースは10%。そして、丸い目がかわいらしいキツネザルは、種によってはなんと17%が同種からの暴力によって死んでいた。
しかし、哺乳類の60%で同種間の殺し合いがみられなかったことも考慮すべきだろう。1200種以上いると言われるコウモリの中で、殺し合いをするのはほんの一部だけだ。センザンコウやヤマアラシも、種の中で殺し合いをせずに生活している。
一般的にクジラやイルカも殺し合いをしないと考えられている。しかし、イルカを専門とする米マサチューセッツ大学ダートマス校の生物学者リチャード・コナー氏によると、最近イルカが子殺しを行おうとする様子が記録されたという。コナー氏は、イルカに近いクジラも、考えられているよりも暴力的であるかもしれないという。
「そうとは気づかずに、私たちはイルカ同士の殺し合いを目撃しているかもしれません。攻撃された側は一見無傷でそのまま泳ぎ去ってしまうのですが、内出血によってやがて死んでしまうのです」
・霊長類における違いこそが重要
それでも、動物の行動に詳しい米コロラド大学ボルダー校名誉教授のマーク・ベコフ氏によると、動物は実際よりも暴力的であると見なされがちだという。
「暴力は人類の系統に深く刻まれたものかもしれません。暴力的な人間を形容する際に、動物のようだと表現するのには十分に慎重になるべきだと私は思います」
ベコフ氏は、人間以外の動物の大部分は圧倒的に平和的だと長いこと主張してきた。そして、人間の動物としての進化史に、暴力のルーツがあるのと同じように、利他や協調のルーツもあると指摘する。ベコフ氏は、人類学者の故ロバート・サスマン氏の文献を引用し、もっとも暴力的な哺乳類である霊長類でさえ、戦いや競争に費やす時間は1日の1%に満たないと述べている。
いずれにせよ、別の動物に決闘を挑むのは危険であり、ほとんどの動物にとって、そのメリットは死のリスクを上回らない。この新しい研究では、社交性や縄張り意識が強い動物ほど殺し合う確率が高いことも明らかになった。この条件には多くの霊長類が該当するものの、すべてではない。ボノボはメスが支配する平和な社会構造を持つのに対し、チンパンジーはそれよりもはるかに暴力的だ。
「霊長類におけるこの違いこそ問題です」と、人間の戦いの進化を研究したことで知られている米ハーバード大学の生物人類学者リチャード・ランガム氏は話す。チンパンジーなどの殺し合いをする霊長類で、もっとも頻繁に見られる同種間の殺人行為は子殺しである。しかし、人間は異なり、大人になってから殺し合うケースがほとんどだ。
「このような『大人の殺人クラブ』がある動物はごく少数です。オオカミ、ライオン、ブチハイエナなど、社交性と縄張り意識がある肉食動物の一部にしか見られません」
人類の系統にはある程度の暴力性が流れこんでいるのかもしれない。だとしても、人間が暴力行為に及ぶのは当然と結論づけるのは誤りだろうというのがランガム氏の意見だ。殺人的な傾向について、彼は言う。「人間は本当に例外なのです」
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極めて示唆に富んだ研究結果なので必ず読んで、“人類という動物の特徴”を理解しましょう。
今日は、この記事から得られる教訓を中心にお話しします。
さて、人間生きていく間に、「相手に対してどのように行動するか」「目の前の人間をどう判断するか」…といった場面が日々繰り返し出現します。
皆様は、そのようなときに、何を心に留めて判断するでしょうか?
判断に当たって「人はそもそも“動物”である」ということを、頭の片隅にでも置いているでしょうか?
いわゆる「頭の良い人」「お人好しな人」ほど、人を判断する時に“自分”や“自分の周りの人達”を基準に~
「人には理性が有るので…」
「真の悪人などいない…」
「話し合えば理解しあえる…」
~…etcといった知性や理性重視の性善説的な考え方で判断しがちです。
どのような基準で物事を判断しようと、それぞれの考え方・人生ですから、別に否定するものではありませんが…
このブログのテーマである「ダマされない」ということを前提にするならば・・・
あらゆる判断を下す上で「人間は動物である」という立脚点を忘れないことは、大事なエッセンスです。
この事に基づかないあらゆる判断は「ダマされる(「間違う)」蓋然性が高く、「人生を不幸にする」一因と言えるでしょう
人間について考えるときに、理念だけが先行せず、肉体を持った、動物である人間という面を考慮した考えで判断することが、ダマされない事につながります。
<「人間は動物である」→それも極めて暴力性に富んだ動物!> 人間は動物です。
しかしながら、どのような特徴を持つ動物でしょう。
その最大の特徴は、上記の研究にもあるように「暴力性」と言えるのではないでしょうか。
上記の記事の記載~
「…チンパンジーなどの殺し合いをする霊長類で、もっとも頻繁に見られる同種間の殺人行為は子殺しである。しかし、人間は異なり、大人になってから殺し合うケースがほとんどだ。…」
~オスが他のオスの子を殺す「子殺し」は、自分の遺伝子を残すといった面からも理解はできますが・・・
人間は「大人になってから同種で殺し合う」という極めて特徴的な動物です。
殺人の殆どは“男”が犯しますから、人間の中でも“男”の暴力性が極めて特徴的と言っても良いでしょう。
上記の記事中の~
「…暴力的な人間を形容する際に、動物のようだと表現するのには十分に慎重になるべきだと私は思います…」
~という言葉は、笑えますね。
「キャー!ケダモノ!」などと言いますが、少なくとも同種同士で「殺し合いまくる」人間の方が確かに余程“ケダモノ”ですね!
上記の記事中の~
「…中世は殺人の時代だ。記録されている死のうち12%が人間同士の争いによるものだった。それに比べると前世紀はかなり平和で、互いに殺し合った率は世界全体で1.33%だった。現在、世界でもっとも暴力が少ない場所では、殺人率はわずか0.01%と非常に低い数値を人々は享受している。…」
~この部分も現代における人間理解に非常に示唆を与える考察ですね。
人間は動物です。
そして、その人間の動物としての最大の特徴は「大人になってから同種間の殺人行為をする」という暴力性とも言えるでしょう。
その暴力性を遺憾なく発揮して良いような社会環境であった中世には「…記録されている死のうち12%が人間同士の争いによるもの…」ということですから、これはなかなかインパクトが強い情報です。
正しい人間理解の上でも頭に留めておくことが肝要です。
さて、このような人類の暴力性ですが、現代においては警察力や教育などの社会環境を整えることで“殺人率”はかなり低く抑えられてきています。
↓
これは、言い換えれば~
「教育を施され、警察などによる治安が保たれた環境であれば、人間は殺人を踏み止まれるが、そうでない状態では、その暴力性が解放される可能性は十分高い!」
~ということです。
理念的なことはともかく、多くの人は“本能的なカン”で、普段の生活の中でもそれを踏まえた行動を選択しています。
先進国でさえ~
「女性は夜外出しない(できない)・・・」
「治安の悪い地区には行かない・・・」
「よく知らない男にはついていかない・・・」
~…etcといった判断も、本能的に人間という動物の特徴(暴力性)を踏まえ判断している表れでしょう。
<今日のまとめ> 生きていく中で、人はいろいろな選択をしていかなければなりませんが、特に人に関わる選択をする際に、「人間は動物である」「動物の中でも高い暴力性を持つ」ということを認識した上で行わなければ、「ダマされる(間違える)」ことになります。
例えば~
「友人を作る」
「お金を貸す」
「男性と飲みに行く」
「旅行に行く」
「結婚相手を決める」
~…etcこのような選択をする際に、認識を誤ると不幸な結果を招くことになりかねません。
人間の暴力性の大半を内包している男性は、自身の心のうちに巣食う暴力性をよく理解しているでしょうが、女性の場合、実感として理解できない面もあると思いますので、特に気を付けましょう。
<あとがき> 皆様は、「進化論」や「人類の祖先」といったことを学習した際、
「なぜ、現在は猿か現生人類(ホモサピエンス)しかいないのだろう?」と思いませんでしたか?
私は不思議で仕方が有りませんでした。
なぜ、北京原人・ネアンデルタール人位の人類が現在いてもおかしくないのでは??
結局、その頃はウヤムヤで分からず仕舞いでしたが…
後々、ホモサピエンスと同時期に存在していたネアンデルタール人等の人類は最終的には絶滅し、人類はホモサピエンスだけが存在する結果になったことを知りました。
諸説はありますが、ホモサピエンスが他の人類を直接的・間接的に駆逐したことは間違いないものと思います。
そして、その源泉は、人類の同種に対する暴力性が関連していることは疑いようがないでしょう。
ホモサピエンス同士ですら殺しあうのですから、同じ人類とはいえもっと異質な種である他の人類を駆逐することは想像に難くありませんから!
仮に、「猿」でこのような状態が起こったと仮定しましょう。もし「チンパンジー」が人類のような暴力的な種であったと仮定すると…
チンパンジーが地球上の他の猿を直接的(戦って殺す…etc)・間接的(縄張りを奪う…etc)に駆逐して、最終的にチンパンジーだけになってしまうようなことですから、その暴力性たるや恐ろしいものです。
そして、現在も人類は、直接的・間接的に他の動物も駆逐・絶滅させている途上ですからね。
こう考えると、本当に「人類」の存在は、他の動物とは一線を画した存在で、バグってしまっていますよね。


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- 2021/11/28(日) 00:00:04|
- 【シリーズ】“人間は動物である”
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